心に遭遇☆発信したいこと☆

その時々の様々な発信を綴ります

私のお父さん

お題「#この1年の変化

改めて、気づいたこと

父が会話の達人だと気づいたのは、
私が大人になってから。

特に、
今まで病院とは無縁だった父が
闘病生活に至り
通院などで同行する機会が増えた頃。


エレベーターで一緒になっただけでも
見知らぬ人と話に花咲かせてた父

買い物や病院へ行っても
従業員さんや看護士さんたちとの
おしゃべりを楽しんでいた父

スーパー銭湯通いは
常連の域で
顔なじみばかりでなく
居合わせた人にも話しかけていた
ことでしょう。

また、コーヒー好きの父には、
行きつけの喫茶店が何軒かあって
マスター、ママ、従業員の方、
同じように来店してきている方々、
など、話し相手も、
そこかしこにいたようです。


どんなことでも話のきっかけに繋げ、
誰とでも分け隔てなく
接することのできる人でした。


父が亡くなったことを伝えに
コンタクトをとっていたであろう
そんな方々の元に足を運んだ際には、

涙を流してくれた人もいました

よくしてもらったと
感謝の言葉をくれた人もいました

お父さん、すごいね。って
語りかけたことを覚えています。


自宅は我が手で守るとばかりに
修繕も自ら行ってくれていました。

材料を買いそろえることから始まる
日曜大工、というより
父の場合は、日常大工って感じで

腕をあげるとともに
あらゆる工具も増えていってました。

家のなかには、
そんな父の手作りの収納ボックスや
生活しやすいようにと
手掛けてくれていた父の工夫の痕跡が
あらゆる所々に残されています。


旅行が好きだった父

夫婦、水いらずの旅は、もちろん
私の運転でも。

父と母と私、
あちこち巡った三人旅は、
とても大切な思い出になっています。


出掛ける時には
いつもカメラを手にしていた父

撮影係をかって出る
サービス精神旺盛なこともあり、

沢山の写真があるなかに、
残された父の写真は、ごくわずか、

それだけ周りの人を一番に、
とても大事にして接する人でした。


私の父は、そんな、自慢の父です。


お父さん、
大切にしていた、お母さんと二人で、
安らかな旅路を過ごしていてね。


お父さん
一緒に過ごさせてもらっていた空間は
本当に幸せでした。ありがとう。